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神戸地方裁判所 昭和63年(ワ)1978号 判決

原告

甲野春子

右法定代理人親権者母

甲野夏子

右訴訟代理人弁護士

模泰吉

後藤由二

被告

学校法人啓明女学院

右代表者理事

宮崎明治

右訴訟代理人弁護士

阿部清治

工藤涼二

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一原告と被告間において、被告の設置する啓明女学院中学校校長(院長)が昭和六三年八月一八日付でなした原告に対する退学処分が無効であることを確認する。

二被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和六三年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  被告は、私立学校法三条にいう学校法人であり、啓明女学院中学校、啓明女学院高等学校を設置して学校教育法に基づく中学校及び高等学校教育を行っている。

原告は、昭和六三年八月一八日当時、右啓明女学院中学校(以下、「本件中学校」という。)の第三学年に在籍していたものである。

2  原告の母甲野夏子は、昭和六三年八月一一日、本件中学校に呼び出されたが、原告の実質的な父である松本茂樹が同校へ出向いた。

松本は、その際、同校副校長から、以下の各事実を告げられ、原告の自主退学を勧められた。

(一) 原告は、昭和六三年七月二二日午後五時一〇分頃、神戸市営地下鉄妙法寺駅付近で、寄り道をしていた。

(二) 原告は、同年七月二六日、同級生の頭髪を引っ張り、同人を泣かせた。

(三) 原告は、同校ジャズダンス部に所属していたが、同年七月二一日開催された総合体育会に出場しなかった。

(四) 原告は、同年七月二〇日、同校終業式礼拝の時、聖書を礼拝場に持参しなかった。

3(一)  本件中学校校長(院長)は、昭和六三年八月一八日付けで、原告に対し、同人を同中学校学則三三条三項四号「学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した生徒」に該当するものとして、退学処分(以下、「本件処分」という。)に付する旨の意思表示をし、原告は、これを受取った。

(二)  本件処分の決定権者は、右中学校校長である。

二争点

1  本件処分の無効事由の存否

(一) 原告の主張

(1) 本件処分の理由は、前記当事者間に争いのない事実2(一)ないし(四)の事実であるが、同各事実は、存在しないか又は存在したとしても、同事実が起きた次の経緯を考慮すると、到底、「学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した」とはいい得ないものである。

即ち、

前記(一)について

原告が、本件中学校から最寄りの神戸市営地下鉄妙法寺駅まで学友らとともに徒歩で下校していた際、見知らぬ老人に声をかけられて、しばらく話をしていただけである。

原告の右下校時が遅くなったのは、同人が、当日放課後、教室に残って友人のクラブ活動終了を待っていたからである。

したがって、原告の当日の行為に、本件中学校側が挙げるような「寄り道」は存在しない。

同(二)について

原告は、学級担任の大林千鶴教諭(以下、「大林教諭」という。)に対し、無実を訴え、被害者とされた生徒も、そのような事実がなかった旨述べた。

したがって、同中学校側が挙げる事実は、無根である。

同(三)について

原告がジャズダンス部に所属していたことは事実であるが、同人は、昭和六三年七月二一日開催された総合体育大会に出場するつもりでいたところ、運動靴を本件中学校に置き忘れて来たことに気付き、上級生(高校生)の運動靴を借りようとしたがサイズが合わなかったので、やむを得ず、田村教諭の了解を得て大会に出場しなかったものである。

したがって、原告の右行為には、非難されるべき謂はない。

同(四)について

原告は、当日の終業式礼拝に参列すべく自分の教室から廊下に出たところで聖書を持っていないことに気付き、教室内に置いてある聖書を取りに戻ろうとしたが、既に教室には鍵が掛けられており、やむを得ず、聖書を持参しなかったものである。

よって、本件処分は、本件中学校校長の裁量権の範囲を大きく逸脱した違法・無効な処分である。

(2) 本件中学校校長は、本件処分決定時、原告にいかなる非違行為が存在するのかを十分知らないまま、もしくは証拠に基づきそれを認定することなく、安易に同処分決定をしたものである。右事実は、本件中学校に原告の行為を記録した公文書が全くなく、本件処分についての決裁文書も残されていないこと、更には、同中学校教頭もしくは副校長が、同校校長に対し、本件処分に関し如何なる報告をしたか、同校校長が同処分に関し何らかの報告書を閲読したことがあるかが不明であること等から明らかである。

本件処分は、以上の点からも、本件中学校校長の裁量権を逸脱したもので、何ら根拠のない違法・無効な処分というべきである。

(二) 被告の主張

原告の主張事実中原告主張の四点(当事者間に争いのない事実2(一)ないし(四)の事実)が本件処分の理由の一部であることは認めるが、その余の主張事実は否認し、その主張は争う。

本件処分の理由となった原告の各行為は、次のとおりである。

(1) 原告の他の生徒に対するいじめ

原告は、本件中学校第一学年(昭和六一年)、第二学年(昭六二年)当時から他の生徒に対するいじめを行って来たが、中学第三学年(昭和六三年)になってからも、同行為は、次のとおり継続された。

原告は、

(イ) 同年五月下旬、ある生徒が他の生徒の好きな人についての秘密を他に漏らしたことを理由に、同人に対し、暴言を吐き、傘を振り回し、同人に接触する直前まで机を移動する等の暴行を加えた。

(ロ) 同年六月三〇日朝、かねてからいやがらせをしていた生徒に対し、挨拶したのに、同生徒が原告に挨拶しなかったとして立腹し、原告のグループの生徒らと一緒になって、いやがらせをしていた同生徒に何度も押しピンを投げ当てた。

(ハ) 同年七月五日、右グループの生徒らとともに、

(a) 家庭科の授業中、級友の一人に対し、霧吹きで水を掛けた。

(b) 同日放課後、かねてからいじめの対象として来た生徒に対し、教室でチョークを投げ、同人の制服を汚した。

なお、同年六月下旬にも、右生徒に対し、ゴムひもを飛ばし髪を引っ張る等の暴力を振い、そのカバンに押しピンを沢山刺し、椅子の下にも押しピンを刺す等のいやがらせをしていた。

(ニ) 同年七月七日、朝拝時、右グループの生徒とともに、ある生徒を取り囲み、激しい言葉で罵った。

(ホ) 同年七月二〇日、終業式において、必要な聖書、讃美歌を故意に持参せず、かねてからいじめの対象となっていた生徒の聖書、讃美歌を取り上げ、同生徒が返えしてくれるよう頼むと、しばらくして返えしたが、その際、同生徒に対し、同人の腕にあざがつく程強くつねる等の暴行を加えた。

(ヘ) 同年七月二六日、補習授業の三時限中、右グループの生徒一人が、右いじめを加えていた生徒の腰部付近をシャープペンシルでつつき、同授業終了後同生徒に筆箱を投げつけ、同生徒の髪を引っ張る等の暴行を加えたところ、原告も、これに同調し、同生徒の髪を何度も引っ張った。

右生徒は、他の生徒三名に付添われて右中学校職員室に避難した。

ところが、原告と右グループの生徒らは、右生徒が原告らのいじめを告げ口したと思い、同生徒にこれを否定させようとして同生徒を校内中探し回った。

右生徒は、そのため、翌日の最終補習を欠席した。

(2) 授業妨害

原告の授業妨害は、前記第一学年・第二学年当時からあったが学年が進むにつれて激しくなり、同人の同行為は、第三学年になってからも続けられた。

その具体的各行為は、次のとおりである。

(イ)(a) 中学学年主任美野教諭が、昭和六三年六月一三日朝拝時、原告に対し以前爪を切るよう注意していたのに同人において同注意を守っていなかったところから、同人に対し、再度注意をした。

ところが、原告は、右グループの生徒とともに、右教諭の右注意に反抗した。

そのため、教室内が騒然となり、第一時限目のホーム・ルームができなくなった。

(b) 美野教諭が、別室で原告らの指導に当たっていたところ、第二時限が開始された。

そこで、右教諭が原告らを教室に戻そうとしたが、原告らは、自分達の話が終っていないとして右教諭の指示にしたがおうとしなかった。

偶々右教諭と指導をともにした八杉教諭が、「これだけ話をしても教室へ戻れないの? それなら学校にいても仕方ないのね。帰えるしかないね、帰りなさい。それでも良いの?」といったところ、原告は、同教諭の同発言を捕らえ、校外へ飛び出し、下校しようとした。

このため、関係教諭や級友二名が本件中学校近隣のバス停留所まで原告を追いかけ校内へ戻るよう説得したが、同人においてこれを聴き入れず下校してしまった。

その影響で、第二時限目の授業もできなかった。

(ロ) 前記グループの生徒一人が、同年六月一五日第一時限の授業中、仲間の一人と喧嘩をし、その内の一人が、同授業終了後の休み時間中帰宅しようとした。

他の級友達が、これを見て右生徒の帰宅を止めようとして騒然となった。

原告は、帰宅しようとする右生徒の傍らから離れようとせず、第二時限が開始され、教諭ら4.5名が同生徒を教室内に戻そうとしたのに対し、暴言を吐いて反抗し、教室に戻らなかった。

そのため、第二時限目の授業もできなかった。

(ハ)(a) 原告と右グループの生徒ら四人が、同年六月一八日第一時限の授業(家庭科)開始後約一〇分経過しても家庭科教室へ入室せず、二階階段付近にたむろしていた。そして、同人らは、家庭科担当教諭から早く教室へ入るよう注意を受けると一斉に逃走してしまった。

原告は、その後、右教室へ戻ったものの、右グループの生徒一人とともに授業を受ける気を全く持たず、教科担当教諭の指示に対しても、「うるさい。」「放って置いてくれ。」等の暴言を吐き、右生徒とともに、同教諭の制止を振り切って同教室から走り出てしまった。

そして、原告は、多目的教室で高校二学年の書道授業を行っていた学級担任大林教諭を廊下に呼び出し、話合いを行うよう強要した。

原告は、第一時限終了約五分前に再び前記家庭科教室へ戻って来たところ、同家庭科担当教諭が、その際原告ら二人に対し、同人らの行動が級友全体に迷惑をかけたことにつき注意を与えた。

ところが、原告は、「通学定期の申込み用紙を取りに行っただけや。」といって、何ら反省の情を示さなかった。

(b) 原告と右グループの生徒らの四人は、同日第二時限の授業(英語)が開始されても、担当教諭の指示を無視して勝手に徘徊し発言していた。

原告は、右グループの生徒一人が教科書を破いたりするのに同調して、教室の後方隅に座り込み、泣いたり大声で叫んだりして授業を妨害した。

そのため、第二時限目の授業もできなかった。

(c) 大林教諭は、右第一時限、第二時限の右経過を踏え、やむを得ず、第三時限の授業(国語文法)を臨時にホーム・ルームの時間に変更し、学級生徒間で十分な話合いを行わせた。

原告らは、それにもかかわらず、同日第四時限目の授業もホーム・ルームの時間に変更するように要求した。

しかし、大林教諭が右要求を拒み所定の授業を開始しようとしたところ、原告は、興奮して同教諭のいる教卓の方へ出て来て同教諭につかみかかり、級友が大切に育てていたブライダルベールの葉をむしり取る行為に及び、これを制止しようとした同教諭を蹴ろうとした。

(ニ) 大林教諭は、同年六月二〇日第三時限を原告らの要求によりホーム・ルームの時間に変更したが、原告らは、その際、自分らの行動に対する反省の弁を述べず、他の生徒や教諭を責める発言をするのみであった。

そして、原告らは、第四時限の授業(音楽)になっても素直に授業を受けようとせず、教室を飛び出す等をした。

そのため、右第四時限目の授業もできなかった。

(ホ) 原告は、同年六月二三日第三時限の授業(社会公民)中、教科担当教諭の指示にしたがわず、右グループの生徒一人を保健室へ連れて行くと称して教室を出ようとした。

右担当教諭がこれを制止しようとしたところ、右生徒が、執拗に筆箱を机上に落して授業の妨害を始めた。

原告も、これに同調し、右担当教諭が、右生徒の机を蹴ってこれをやめさせると、原告は、「暴力を振った、謝まれ。」等の暴言を吐き、授業を妨害した。

(ヘ) 原告は、同年六月二七日のホーム・ルームの時間中担当教諭に反抗的態度を採っていたが、特に、修学旅行の日程が前年に比して一日減っていたため学級中から不満の声が上った中で、原告と右グループの生徒の二人が、からかい気味の奇声を発して騒いだ。

(ト) 原告と右グループの生徒の二人は、同年六月三〇日第二時限の授業(理科)が開始されても、着席しようとせず、教科担当教諭に対し、「私らは授業を受けなくていいんじゃ。」等といい、教室後方の掲示板に押してあった押しピンを取ったりして授業を妨害した。

(チ)(a) 原告は、同年七月一日第二時限の授業(英会話)中、級友の一人に対し、「覚えておけ。後で殴ってやる。」と叫び授業を妨害した。

(b) 原告は、同日第五時限の授業中にも、右グループの生徒らと一緒になって、教室の最後方に座席のある右生徒の方に一斉に向き、なじる等をした。

教科担当教諭が、原告らに対し注意を与えても、同人らは右行為をやめず、「休み時間は逃げるから授業中に殴ったろか。」等と暴言を吐き、授業を妨害した。

(3) 教諭に対する暴言・反抗

(イ) 原告は、昭和六三年六月一五日第二時限に、同時限の授業を受けるよう説得する教諭に対し、「うそつき。」「お前。」等と発言した。

(ロ) 原告は、同年六月二三日第三時限の授業(公民)中注意した教科担当教諭に対し、「あやまれ。」等と大声で発言し、前記グループの生徒一人が、「お前、オカマか。」「お前の女と違う。」「鼻毛が出ている。」等というのに同調した。

(ハ) 原告は、同年七月一日第五時限の授業中、学年主任が原告らを静めるため教室の後方に立っているのに対し、「あのおばはん。」「後で何しとんねん。」等と発言した。

(ニ) 原告は、同年七月二日朝拝時、大林教諭から注意を受けると、これに対して、「うるさい。」「お前。」と発言して反抗した。

(ホ) 原告は、同年七月二〇日終業式終了後、大林教諭から、原告らの当日における各行為について注意を受けると、「そんなものすぐ直ると思っとんか。」「お前の被害妄想や。」等と発言した。

(ヘ) 原告は、同年七月二六日、年配の教諭からいじめをしてはならない旨諭されると、同教諭に対し、「お前が(現場を)見たんか。いじめとう思っとんやろ。」等と発言し、くってかかった。

(4) 学則違反

(イ)(a) 原告は、昭和六三年七月七日正午頃(放課後)、前記グループの生徒らとともに神戸市内名谷に寄り道をし、食堂に入りラーメンを食べた後、バスタオルを買ったりした。

原告は、その際、本件中学校教諭から数回にわたり補導を受けたが聞き入れず、同日午後六時四〇分頃、同教諭から強い補導を受けやっと帰宅した。

(b) 原告は、右補導を受けたにもかかわらず、同月二二日午後五時一〇分頃、神戸市営地下鉄妙法寺駅近くのコープ広場で、右教諭から速やかに帰宅するよう強い補導を受け、やっと帰宅した。

(ロ) 本件中学校は、生徒心得として生徒の校外生活につき次のとおり定めている。

(a) 定められた通学路順より他に廻る時は、担任及び生活指導部の許可を受けること。

(b) 生徒としては好ましくない所(喫茶店、ディスコ、遊技場等)に出入りしたり、繁華街を徘徊したり、夜間単独外出したりすることを絶対にしてはならない。又、友人同志で飲食店に立入ったりしないこと。特に下校の際は厳につつしむこと。

(ハ) 原告の前記各行為は、右学則に違反するものである。

(ニ) 本件中学校校長は、原告の右各行為の全体が同校学則三三条三項四号に該当するとして、同人に対する本件処分を決定したものである。

本件中学校の本件処分に関する原告への対応とその経過は、次のとおりである。

(1) 本件中学校の担当教諭、学年主任、生活指導部長等は、原告が問題行為に及ぶ都度、同人に対し指導を重ね、必要に応じ同人の保護者に連絡して同指導内容を理解してもらうとともに、原告の向上のためには学校と家庭が力を合せて当たりたい旨協力を要請して来た。

(2) 右中学校では、昭和六三年七月四日、原告の母の配偶者に対して来校を求め、同中学校教頭から、「原告本人に対する本件教員の指導のラストチャンスである。」旨言渡した。

右配偶者は、これに対し、「最後のチャンスとはどういうことだ。もう指導しないというのは学校を辞めさせるということか。」と質問したので、同教頭は、「学校を変わっていただくことである。」旨返答した。

(3) 右中学校副校長は、同月一四日、原告の保護者(原告の母、その配偶者)に対し、原告を指導のうえ今後態度を改めることを約束させた。

右副校長は、これに加え、右保護者に対し、原告における次の四項目の遵守と同人においてこれらの遵守ができない場合には本件中学校を退学してもらうことになる旨申し伝えた。

(イ) 学習に励み努力すること。

(ロ) 級友、その他の人々と仲良くすること。

(ハ) 学校のきまりを良く守り、どの先生の指導にもしたがうこと。

(ニ) 保護者として、以上の項目を実行するよう生徒の監督指導をするとともに息女の指導について学校に協力してもらいたいこと。

(4) 右中学校の教頭、副校長等は、部長会での席上を始め、機会ある毎に、同校校長に対し、原告の本件各行為等を報告していたが、同年七月二〇日午後、原告の処遇につき最終的判断を仰ぐための同報告をした。

右校長は、原告のこれまでの学習態度や学校生活態度に改善の気配が認められないことから、原告に転校を勧め、同人がこれに応じない時には退学処分もやむを得ないと判断した。

(5) 右中学校では、同年七月二八日以降八月上旬にかけて、3.4度、原告の保護者に対し、電話で来校を要請したが、同保護者は、「退学にするならば行く必要がない。」として同要請を拒否した。

右中学校では、同年八月八日、校長名で右保護者宛来校を求める旨の文書を発送した。

(6) 原告の母の配偶者が、同年八月一一日、右中学校へ来校した。

そこで、右中学校副校長が、右配偶者に対し、約一時間かけて原告の転校を説得し、合せて、もし一週間経過しても同転校手続をしなければ退学処分とする旨通告した。

(7) 右中学校は、同年八月一八日、原告の母宛退学処分通知書及び転校手続のための一件書類を発送した。

右中学校校長は、その後、神戸市教育委員会宛に、中途退学者の通知書を発送した。

被告は、以上のとおり、本件処分をするに際し、原告に対し十分配慮し、その処分についても十分に検討している。

右主張から明らかなとおり、本件処分は、その理由において正当であり、しかも適正な手続をふんでなされたものである。

よって、本件処分は、同処分権者である本件中学校校長の裁量権の範囲内にあり、適法かつ有効である。

2  原告の本件慰謝料請求の当否

(一) 原告の主張

本件処分が本件中学校校長の裁量権を逸脱した違法・無効なものであることは、前記主張のとおりである。

原告は、無効な本件処分により本件中学校から排除され同中学校における学園生活の機会を一方的に奪われ、多大な精神的苦痛を被った。

よって、原告の右精神的苦痛を慰謝するには、金三〇〇万円が相当である。

(二) 被告の主張

原告の主張事実中本件処分の存在は認めるが、その余の主張事実は否認し、その主張は争う。

本件処分が適法・有効であることは、前記主張のとおりである。

したがって、原告の右主張は、本件処分の効力の点で既に根拠がない。

第三争点に対する判断

一本件処分の無効事由の存否

1  本件処分の理由中に、原告主張の四点(当事者間に争いのない事実2(一)ないし(四)の事実)が含まれていることは、当事者間に争いがない。

2(一)  原告は、本件処分の理由とする事実が存在せず、仮に存在したとしても、同事実が起きた経緯に鑑みるとこれらの事実は到底同処分の根拠である本件中学校学則三三条三項四号に該当せず、したがって、同処分は、同中学校校長の裁量権を逸脱した違法・無効なものである旨主張するところ、原告の右主張事実にそう証拠(〈書証番号略〉、法定代理人甲野夏子本人。)の各記載内容及び供述内容は、後掲各証拠及びそれに基づく各認定事実に照らしてにわかに信用することができず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  かえって、証拠(〈書証番号略〉、証人津田實、同大林千鶴、同美野隆子、弁論の全趣旨。)によると、次の各事実が認められる。

(1) 原告の本件処分に至るまでの各行為

(イ) 級友に対する関係

原告は、本件中学校第一学年(昭和六一年)、第二学年(昭和六二年)当時から、特定の級友一名に対し、いやがらせや隠れて暴力を加える等の所謂いじめを行っていたが、第三学年(昭和六三年)になってからは、他の級友三名とグループを組み、原告自身や同グループの生徒ら(以下、「本件グループ生徒ら」という。)が、右級友(以下、「対象級友」という。)に対し、右いじめを行うようになった。

その具体的な各行為は、次のとおりである。

(a) 原告は、昭和六三年五月下旬頃、対象級友が級友の他愛ない秘密を他の級友に広めたとして、本件グループの生徒らとともに、放課後、対象級友を本件中学校の校舎内c棟廊下に呼び出し、同人を難詰した。

そして、原告らの右行為は、これを目撃している他の級友達をも巻き込んで一騒動になった。

大林教諭(当時の学級担任。以下同じ。)が、他の級友等からの連絡を受け、他の本件中学校教諭とともに右現場に急行し、右騒動の仲裁をし、関係生徒に対し、教室へ戻るように説得した。

原告らは、大林教諭らの右説得に仲々応じなかったが、これにしたがって教室内へ戻った。

しかし、原告らは、その後、仲々帰宅しようとせず、右教諭の早く帰宅するようにとの勧告に応ぜず、同教諭の再三の同勧告に、今度は対象級友に対して暴言を吐き、傘を振り回したり、同級友の身体に当たるぎりぎりまで机を押し動かしたりした。

(b) 原告は、同年六月三〇日朝拝(本件中学校は、キリスト教主義の学校である関係上、第一時限の授業開始前に、聖書の朗読・讃美歌の斉唱が行われる。同校では、これを朝拝という。)前、自分は朝バスの中で対象級友に対し挨拶したのに同人は自分に挨拶しなかった、それで腹が立ったとの理由で、本件グループの生徒一人とともに、同級友に対し、押しピンを数回にわたって投げ、これを同人に当てた。

なお、原告は、同年六月下旬頃にも、右級友に対し、ゴムひもを飛ばし髪を引っ張る等の暴力を振い、同人の制カバンに押しピンを沢山刺し、椅子の下にも押しピンを刺していた。

(c) 原告は、同年七月五日理科Ⅱの授業中、対象級友を蹴り、つねって、同人にあざを生ぜしめたが、同日放課後、教室内で、同人に対し、チョークを投げつけ、同人の制服を汚した。

なお、原告は、右同日家庭科の授業中、他の級友に対し、霧吹きで水を掛けた。

(d) 原告は、同年七月二〇日、終業式(被告における高校・中学校の全生徒が同校体育館に集合して挙行される。)において、必要な聖書、讃美歌を故意に持参せず(この経緯については、後記認定のとおりである。)、同終業式の最中、本件グループの生徒一人とともに、対象級友から、聖書と讃美歌を取り上げ、同級友が「返えして。」というと、しばらくして返えしたが、その際、同人の腕をあざができる程強くつねった。

(e) 原告は、同年七月二六日補習三時限の授業(数学)の終り頃、本件グループの生徒一人が対象級友に筆箱を投げつけ同人の髪を引っ張ったのに同調し、同人の髪を引っ張った。

右対象級友は、右グループの生徒一人による右暴行が続くので、それから逃がれるため他の級友に付添われ、職員室に赴いた。

ところが、原告らは、対象級友の右行動を知って、同人が本件中学校教諭らに原告らの右行為を告げ口するものと考え、対象生徒の口から右事実を否定させようとして、同人を校内中捜し回った。

原告らの右行為は、学級内は勿論、本件中学校内全体に騒然とした雰囲気を発現させた。

そして、対象級友は、原告らの右行為に恐怖し、翌日の最終補習授業を欠席した。

(f) 原告は、同年七月一日二時限の授業(英語)中、他の級友に対し、大声で「覚えておけ、後で殴ってやる。」と申し向け、そのため、同級友は、昼休み時間中、校内のチャペルに避難していた。

(ロ) 授業妨害

原告の授業妨害は、前記第一学年、第二学年当時からあったが、学年が進むにつれて激しくなり、同人の同行為は、第三学年になってからも続けられた。

その具体的な各行為は、次のとおりである。

(a)① 中学校主任美野隆子教諭(以下、美野教諭という。)は、昭和六三年六月一三日朝拝時、大林教諭が病気欠勤のため同教論代行として本件学級に赴いたが、その際、原告の爪が伸びているのを認めた。

美野教諭は、同月一〇日放課後、原告と、同人の爪を必ず全部切る旨約束していたので、同人の爪の右状態を見て、同人に対し、強い口調で、同約束違反を注意した。

ところが、原告は、美野教諭の右注意に立腹し、朝拝に入っても、聖書をぱたぱたさせたり、机をがたがたいわせたりして反抗的態度を採り続けた。

本件グループの生徒らは、原告の右行為を見て、これに同調し、笑う等の反抗的態度に出た。

同人らの右行為は、ホーム・ルームの時間に入っても続けられ、そのため、学級内で討議すべき事項についての討議ができなかった。

② そこで、美野教諭は、他の教諭に右学級ホーム・ルーム時間内の行事の進行を任かせ、被告生活指導部長木村和也教諭(以下、木村教諭という。)とともに、原告及び本件グループの生徒らを、生活指導室に呼び、同室内で、同人らに対する説諭指導を行った。

しかし、その内にホーム・ルームの時間が終り、第二時限が開始される時刻になってしまった。

美野教諭も木村教諭も、次の授業担当があるし、原告らにも第二時限の所定授業があるので、両教諭は、同人らに対する説諭指導を一旦中止し放課後再度同説諭指導を行うことにして、原告らにその旨を告げ、同人らを学級へ戻そうとした。

ところが、原告らは、自分達の話が終っていないとし、学級へ戻ろうとしなかった。

美野教諭らが原告らに右勧告を繰り返している時、八杉貞子教諭が通りかかり、同教諭も加わって、原告らに学級へ戻るよう説得した。

しかし、八杉教諭は、原告らが容易に右説得に応じようとしないため、「授業を受ける気がないのなら学校にいる必要がないね。帰えりなさい。」と申し向けた。原告らは、それから間もなく、八杉教諭が授業担当のためその場から立去った後、帰えれといわれたから帰えろうとの言動を示し始めた。

そして、原告らは、美野教諭が懸命に「帰えれということではない。授業に戻れということだ。」といっても、これを聞き入れず、「帰ろう。」といってその場から飛び出して行った。そして、同人らは、教室へ戻り、「帰えれといったから帰える。」といって各自のカバンを持ち、美野教諭の制止を振り切って、校外へ出て行った。

美野教諭は、校外バス停留所まで原告らを追いかけて行き、帰宅を止めようとしたが、同人らは、全くこれに応じようとはしなかった。

級友の代表二人も、泣きながら美野教諭とともに、原告らの帰宅を止めようとしたが、同人らは、これを振り切り、バスに乗車して帰宅してしまった。

右学級では、その間、正常な授業が行われなかった。

(b)① 原告と本件グループの生徒らの四人は、同年六月一八日第一時限の授業(家庭科)に、同授業開始後約一〇分経過しても家庭科教室へ入室せず、同校舎二階階段付近にたむろしていた。そして、同人らは、家庭科担当増井裕子教諭から、早く教室へ入るようにとの注意を受けると、一斉に校舎の他所へ逃走してしまった。

増井教諭が、職員室へ救援を求めに行き家庭科教室へ戻って見ると、右四人は、同教室内に入っていた。

そこで、増井教諭は、直ちに家庭科の授業を開始したが、原告と右グループの生徒の一人は、同授業を受ける気が全くなく、同教諭から、同時間内にするべき事項を指示されたのに対し、「うるさい。」「放って置いてくれ。」等と暴言を吐き、挙句は、二人とも、同教諭の制止を振り切って同教室内から走り出て行った。

他の級友達は、右状況を見ていたが、その内の三名が、増井教諭に対し、同教諭が連れ戻しに行くよりも自分達が行った方が良い旨申し述べ、原告らを探がしに行ったが、同人らを発見することができなかった。

② 原告らは、右家庭科教室を走り出た後、同校舎三階の多目的教室に赴いた。

大林教諭は、当時、右教室において、高校二学年の書道授業を行っていたが、同教諭は、同教室の廊下に来た原告から、開け放された窓越しに、手招きで一寸出て来て欲しい旨の合図を示された。そこで、大林教諭は、原告に対し、目で、応じられない旨の合図をしたが、原告らは、立去ろうとせず、その場に居続けた。大林教諭は、授業を受けていた生徒達が原告らの姿を認めざわつき始めたため、廊下に出て、原告らに対し、今授業中なので教室へ戻りなさいと注意した。

③ 原告らは、大林教諭の右指示に仕方なく、再び前記家庭科教室へ戻ったが、その時は、右授業終了約五分前であった。

増井教諭は、その際、原告らに対し、同人らの右行為で右授業が正常どおり行われず級友全員に対し迷惑を掛けた旨注意したが、原告は、これに対し、「通学定期の申し込み用紙を取りに行っただけや。」と述べ、平然としていた。

(c)① 原告と本件グループの生徒らの四人は、同日第二時限の授業(英語)が開始されても、教科担当横井美幸教諭の指示を無視して勝手に教室内を徘徊発言していた。

そして、興奮した右グループの生徒の一人が、自分のカバンからノートを取り出して破り始め、原告らその余の三人は、これを取り巻き興奮した言動を採っていた。

横井教諭は、原告らに対し、授業を始めるから着席するよう何度も注意したが、同人らは、これに応じようとはせず、教室の後方隅に座り込み、泣いたり大声で叫んだりしていた。

その内、右グループの生徒の一人が、教科書を破り始めたので、横井教諭は、単独で同事態を収拾し得なくなり、職員室へ赴き応援を求めた。

そして、横井教諭は、応援に来た他の教諭とともに、原告らに対し、席について授業を受けるよう説得を続けたが、同人らは、それでも、同説得に応じようとはしなかった。

第二時限目は、右状況のまま終了してしまった。

② 大林教諭は、第一時限、第二時限の右経過を踏え、やむ得ず、他の教諭が担当する第三時限の授業(国語文法)と大林教諭の担当する第四時限の授業(国語)と振り替えてもらい、第三時限をホーム・ルームの時間とした。

そして、大林教諭は、同ホーム・ルームの時間を利用して、学級生徒間で話合いを行わせた。

しかし、学級生徒間の右話合いは、原告ら四人の、本件中学校教諭らが同人らのいうことを聞いてくれない、どうにかして欲しい旨要求が中心となり、しかも、同人らは、大林教諭に対し、激しい、喧嘩口調で、同教諭の態度をののしり、その言葉遣いも、あんたがこうやからこうなんやろとかこうゆう風にしてくれというものであった。

他の級友は、右状況から発言したくても発言できず、その意見の表明はなかった。

第三時限目は、このような状況で、結論が出ないまま終了した。

大林教諭は、前記振り替えてもらった時間が終了したので、学級生徒に対し、話合いはもうこれで一旦打切る旨申し向けた。

③ 大林教諭は、振り替えてもらった第四時限の授業も同教諭が担当することになったので、同時限は正規の授業を行なおうと教室へ赴いた。ところが、教室内では、第三時限目の雰囲気が収まっておらず、授業ができる状態でなかった。

原告らは、そのような状況下で、大林教諭に対し、もっと話合の時間を取って欲しい、同時限もホーム・ルームの時間に変更せよと要求した。

しかし、大林教諭は、原告らの右要求を拒否し、正規の授業を行う旨応答した。

原告らは、大林教諭の右応答を不満として自分達の席につこうとせず、教室内を徘徊していたが、その内に、その中の一人が、教室内にあったブライダルベール(観葉植物)の鉢一個を持って、その葉をむしり取り始めた。

原告も、右行為に同調する言動を示していた。

右ブライダルベールの鉢は、学級費で購入したり、大林教諭が自宅から持参したもので、これを愛好しその世話をする級友も多かった。

そのため、右グループの生徒一人が、右行為を始めると、右愛好級友らが、同人に対し、やめてと声を上げた。

大林教諭は、右行為に及ぶ生徒から、右鉢を取り上げ右行為を制止しようとしたところ、原告は、右行為生徒とともに、大林教諭の右制止行為に反抗して同教諭ともみ合いになったが、同教諭が、結局、右鉢を取り上げ、これを教壇下に置いた。

第四時限目も、このような状況下で、正常な授業が行なわれなかった。

(d) 大林教諭は、同年六月二〇日、自分の担当する第三時限の授業を、原告らの要求により、ホーム・ルームの時間に変更したが、同時間における状況も、級友二人だけが発言して意見を述べたほかは、前記六月一八日第三時限のホーム・ルームの時間の場合と大差なかった。

原告と本件グループの生徒ら三人は、右二〇日第四時限の授業(音楽)が開始されても、第三時限のホーム・ルームの時間に級友の皆が自分達の味方にならなかったと当たり散らしていた。

しかし、教科担当教諭が右授業を開始した直後、右グループの生徒の一人が「この子達と一緒に授業を受けたくない。」といって音楽教室から出て行こうとした。原告も、これに同調して立上った。

右担当教諭がこれを制止すると、授業拒否に及んだ右グループの生徒が、「先生を殴ってしまいそうになるねん。」等といい出し、それを聞いていた級友の一人が、「そんなんやったら出て行ったらいいねん。」と申し向けたところ、右グループの生徒が、級友の右言葉を聞き、「この子らも思っとうやんか。」といい残し、右教室を飛び出して行った。

原告と右グループの残りの生徒らも、これを追って右教室を飛び出し、ホーム・ルーム教室へ赴いた。右担当教諭は、職員室へ連絡して他の教諭の応援を求め、応援のためかけつけた他の教諭二人が、ホーム・ルーム教室に赴き、同教室内にいた原告らを強く説得した。

その結果、原告らは、音楽教室に戻り、他の級友らに謝まるかの如き言動を示した。

しかし、担当教諭は、原告らの右態度が真剣に謝まる態度に見えなかったので、同人らに注意し、級友が心配している旨を申し向けた。

すると、右グループの生徒一人が、級友の一人が同人をにらんだといい出し、これを機に、原告と右グループの生徒らは、全員又も音楽教室から出て行った。

第四時限目は、その直後、終了した。

(e) 祢津茂実教諭は、同年六月二三日、第三時限の担当授業(社会公民)を行なうため、原告らの教室に入ったが、原告が本件グループの生徒の一人と机を接着させているのを認めた。

そこで祢津教諭は、右両名の机を元に戻させ、授業開始した。

原告は、右授業開始直後、右グループの生徒一人が具合悪いので保健室へ行かせて欲しい旨申し出た。

しかし、祢津教諭は、当該生徒の様子を見ると、特に具合が悪そうでもないので、少し様子を見てからと応答し、授業を継続した。

すると、具合が悪いはずの右生徒が執拗に筆箱を机の上に落し音をたてて、授業の妨害をし出した。

祢津教諭は、口頭で再三、右生徒に対し、注意を与え、右行為をやめさせようとしたが、同人は、これを聞き入れず、依然、右行為を続けた。

祢津教諭も、右生徒の右態度に遂に我慢できなくなり、「いい加減にしろ。」と同生徒の机の脚を蹴って、これを制止した。

原告は、これを見て、祢津教諭に対し、「暴力を振ったのだから、謝まれ。」等と申し向け、その間授業の進行を妨害した。

(f) 原告は、同年六月二七日第一時限のホーム・ルームの時間中、美野教諭(大林教諭の代行)が修学旅行の日程を発表した際、同日程が前年より一日減っていたため学級中から不満の声が上った中で、本件グループの生徒らとともに、からかい気味の奇声を発して騒いだ。

高校二学年の授業が、当時、隣接教室で行なわれていたが、同授業の担当教諭は、原告らの右騒ぎが余りにも大きく、やかましいので、同人らの教室まで注意に来た。

(g) 原告と本件グループの生徒ら二人は、同年六月三〇日第二時限の授業(理科)が開始されても着席しようとせず、教科担当教諭に対し、「私らは授業を受けなくてもいいんじゃ。」等といい、教室後方の掲示板に押してあった押しピンを取ったりしていた。

右授業は、そのために正常に進行しなかった。

(h)① 原告が同年七月一日第二時限の授業中級友の一人に対し「覚えておけ、後で殴ってやる。」と叫んで同級友を畏怖させたことは、前記認定のとおりである。

② 原告と本件グループの生徒ら三人は、右同日五時限の授業中、教室の最後方に座席のある右級友の方に一斉に向き、なじる等を行った。

同人らは、担当教諭の注意にもかかわらず右行為をやめようとせず、「休み時間は逃げるから授業時間中に殴ったろか。」等と暴言を吐き、担当教諭は、同人らの右言動にその収拾をつけ得ず、職員室に連絡して応援を求めた。

美野教諭が、右連絡を受けて右教室に赴き、原告らに注意を与え、同人らに右級友をなじるのをやめさせて前方を向かせ、その結果、ようやく授業が続行された。

(i) 本件中学校第三学年の教科担当教諭らの殆どは、当時、美野教諭に対し、自分達は原告と本件グループの生徒らがいる学級で授業をしない訳に行かないから、同人らの妨害を受けても授業を続けようとするが、同人らが大声で私語をするので度々注意しなければならず、その度に授業は中断。同人らに対し優しく注意すると聞こうとしないし、強く注意すると反抗するので授業がやりにくい。他の生徒は、それをじっと耐えている状態である旨を訴えていた。

(ハ) 教師に対する暴言・反抗

原告と本件グループの生徒らは、平素から本件中学校教諭らに対し敬語をもって話さず、むしろ軽べつと受取られかねない用語と口調で接していたが、前記認定の各行為に及んだ場合に、その傾向は、特に顕著となった。

その具体的場合は、次のとおりである。

(a) 本件グループの生徒一人が、昭和六三年六月一五日第一時限の終了後、他のグループの生徒一人と喧嘩をしていたことに起因して下校帰宅しようとし、これを見た他の級友多数が、廊下で、本件グループの生徒一人の右行為を制止しようとした。

右生徒は、第二時限が開始されても教室に入ろうとしなかった。

そこで、大林教諭、美野教諭らが、右生徒に対し、教室へ戻るよう説得したところ、原告は、その際、同両教諭に対し、「うそつき。」「お前。」等の暴言を吐いた。

(b)① 祢津教諭が同年六月二三日第三時限の授業で本件グループの生徒一人に対しその授業妨害を制止したこと、原告のその際の言動は、前記認定のとおりである。

② 祢津教諭は、右制止後、右授業妨害をした生徒を優しくたしなめたところ、同人は、同教諭に対し、「お前おかまか。」「お前の女と違う。」「鼻毛が出ている。」「親に来てもらう。」等の暴言を吐き、原告も又、これに同調した。

(c)① 原告が同年七月一日第二時限の授業中級友の一人に対し「覚えておけ。後で殴ってやる。」と大声で威嚇したこと、原告と本件グループの生徒らが同日第五時限の授業中一斉に同級友の方に後向きになり同人を大声でなじり授業を妨害したことは、前記認定のとおりである。

② 美野教諭は、右第五時限の授業中、原告らを静めるため教室後方に立っていたが、原告は、同教諭に対し、「あのおばはん、何しとんねん。」等発言し、同教諭が、これに対し注意してもやめようとしなかった。

(d) 美野教諭(大林教諭が有給休暇を取ったため、同教諭の代行。)は、同年七月一日の朝拝時、原告に対し同人が隣りの級友に対し下敷を貸してといっているのを認め原告に対し注意した。

原告は、右教諭の右注意に対し、「うるさい。」「お前。」等と発言して反抗した。

(e)① 原告が同年七月二〇日終業式において前記対象生徒から聖書と讃美歌を取り上げたことは、前記認定のとおりである。

② 原告らを含む学級生徒全員は、同人らの教室前から右終業式が挙行される前記体育館まで移動するため、同教室前廊下に整列していた。

そして、右終業式では式次第により、聖書と讃美歌を必要とし、参加全生徒は、聖書と讃美歌を必ず所持して入場しなければならず、このことは、同全生徒に熟知されていた。

ところが、本件グループの生徒一人は、右廊下に整列の時点で、聖書と讃美歌を所持していなかった。大林教諭は、これを認め、右生徒に対し、右両書を持って来るように注意したが、同人は、同注意にしたがおうとしなかった。

原告は、右生徒の横に並んで右状況を見ていたが、それまで同人は右両書を所持していたにもかかわらず、わざわざ教室内へ同両書を残すべく戻り、手ぶらで又整列中へ帰って来た。

大林教諭は、右両書なしでは終業式に参加できないので、再度右二人に対し同両書を持って来るように注意した。

しかし、整列していた生徒達が、その時点で、前記体育館へ向け移動し始め、後方に整列していた高校生達も進行し始めていた。

大林教諭は、全生徒の右動きから、原告ら二人の右行為を黙認せざるを得なかった。

③ 大林教諭は、右終業式の終了後、原告を職員室へ呼び、美野教諭らとともに、原告に対し、同人の前記行為につき説諭指導したところ、同人は、その途中から、「謝やまっとうやん。」といって職員室から出て行こうとし、大林教諭らが制止しようとすると、それを押し切って教室へ戻ってしまった。

そこで、大林教諭らは、教室へ赴き、原告に対し、右説諭指導を続けたところ、同人は、居合せた本件グループの生徒らとともに、同教諭らに対し、「そんなものすぐ直ると思っとんか。」とか「お前の被害妄想や。」等の暴言を吐いた。

(f) 原告は、同年七月二六日、年配の教諭から、おだやかに、いじめをしてはならない旨諭されたが、その際、同教諭に対し、「お前が見たんか。いじめとう思っとんやろ。」等と発言し、くってかかった。

(ニ) 学則違反

(a)① 原告は、昭和六三年七月七日放課後(同日は、期末試験日で、授業は、午前中に終了していた。)、本件グループの生徒らとともに、神戸市内名谷に寄り道をし、食堂に入りラーメンを食べた後、バスタオルを買いに行った。

② 原告は、その後、右グループの生徒らとともに、その付近でベンチに座り話し込んでいたところ、右同日午後一時一二分頃、本件中学校教諭二人から寄り道についての補導を受けた。

しかし、原告らは、右補導にしたがおうとせずベンチに座り、アイスクリームを食べながら、付近に設置されたテレビを見ていたが、これを現認した右教諭らから再度注意を受けた。

原告らは、その後、神戸市内地下鉄名谷駅の隣接駅である妙法寺駅(本件中学校との位置関係は、後記のとおりである。)まで移動し、同駅付近のバス停留所で話し込み、次々に通りかかった本件中学校教諭三人から、早く帰宅せよと注意された。

それでも、原告らは、仲々帰宅しようとせず、同日午後六時四〇分頃、偶々同所を通りかかった帰宅途中の本件中学校教諭にこれを現認され、強く注意され、ようやく帰宅の途についた。

(b) 原告は、同月二二日午後五時一〇分頃、本件グループの生徒らとともに、本件中学校に近い前記地下鉄妙法寺駅付近の灘神戸生協前広場にいた。

そして、原告らは、偶々所用で通りかかった本件中学校教諭から、補習授業終了後長時間経過していることでもあるし、寄り道をしないで早く帰宅するようにとの補導を受けた。

(ホ) その他の行為

原告は、昭和六三年七月二一日、神戸王子競技場で開催される毎年恒例の中学校総合体育大会に出場する際、担当教諭から事前に同大会に参加するための所持品につき十分指導されていたにもかかわらず、運動靴不所持で会場に集合した。そのため、原告は、右大会に出場できなかった。

(2) 被告の本件処分に関する原告保護者への対応とその経過

(a) 本件中学校の学級担当、学年担当、生活指導部長の各教諭が、原告の前記認定にかかる本件各問題行為の都度、同人に対し懸命の説諭指導に当たって来たことは、前記認定のとおりである。

右各教諭は、原告に対する右各説諭指導に加え、同人の保護者に連絡して同指導内容の理解をしてもらうとともに、家庭における原告の指導の協力も要請して来た。

(b) 本件中学校では、昭和六三年七月四日、原告の母甲野夏子に対し、来校要請の電話連絡をしたところ、同人の内縁の夫松本茂樹(以下、松本という。右中学校には、原告の父と届出てあった。)が来校した。

そこで右中学校の津田實教頭(以下、津田教頭という。)は、大林教諭、美野教諭、木村教諭、副校長中山武男(以下、中山副校長という。)らが同席のうえで、松本に対し、原告が同年六月中旬以降本件グループの生徒らとともに校内で行っている前記認定の各行為について告げ、同校各教諭の再三にわたる注意指導にもかかわらず同問題行為が改まらないこと及び原告が同教諭らの指導に素直にしたがわず態度も改まらないことを述べ、更に、原告が今後も同様の行為を続け、同教諭らに対する態度が改まらず同教諭らの指導に素直にしたがわないのならば、本件中学校としては原告を本校生徒として認める訳には行かない、他校へ転校してもらわねばならなくなる、保護者としても同中学校の指導を十分理解し、家庭でも原告を十分監督指導して欲しい旨述べた。

そして、津田教諭は、締めくくりに、これが本件中学校教諭の原告に対する最後の指導である旨申し述べた。

(c) 本件中学校は、同年七月一四日、前記甲野夏子に対し、再度、来校要請の電話連絡をしたところ、甲野夏子と松本が来校した。

そこで、中山副校長は、木村教諭同席のうえ、甲野夏子、松本に対し、次のとおり告げた。

前記七月四日における津田教頭からの要請にもかかわらず、原告は、その後の学期末試験に対する取組みも良いとはいえない、同人は、七月七日寄り道をして数名の教諭から特別指導を受けている、これでは、七月四日、保護者に来校してもらった甲斐がない、原告が今後このような行為に出ないよう保護者としても責任を持って同人を指導して欲しい、又、その実を同人の態度・行為で示させて欲しい。

そして、中山副校長は、次の具体的四項目の遵守を右両名に要請し、もし原告が同四項目を遵守できない場合、同人の方から本件中学校を退いてもらうか、そうでなければ同中学校の方から退学を命ずることになる旨を付加して述べた。

(Ⅰ) 学習に励み努力すること。

(Ⅱ) 級友、その他全ての人々と仲良くすること。

(Ⅲ) 学校の規則を良く守り、どの教諭の指導にもしたがうこと。

(Ⅳ) 保護者として以上の項目を実行するよう原告の監督指導をするとともに、同人の指導について本件中学校に協力してもらいたいこと。

(d) 本件中学校は、同年八月八日、前記甲野夏子宛に、同月一一日午後一時に来校を求める内容の文書を送付したところ、松本が来校した。

そこで、中山副校長は、津田教頭、美野教諭ら同席のうえ、松本に対し、原告の本件中学校における態度が前記七月一四日以後も改まらないので、右同日申述したように、原告に同中学校から他の中学校へ転校してもらいたい、一週間の猶予期間を置くので、その期間内に転校手続を採って欲しい、もし原告の方で同期間内に同転校手続を採らないのであれば、本件中学校の方で、原告に対する退学処分を採らざるを得ないし、同処分を採る旨を告げた。

(e) 本件中学校は、同年八月一八日付で、原告に対する本件処分を行い、同日付で原告に対する退学証明書(転校手続に必要な文書)を発行し、同年八月二五日付文書で、神戸市教育委員会に対し、原告が同中学校を中途退学した旨の通知をした。

(3) 被告の本件処分に至るまでの内部的経過

(イ) 本件中学校には、次の五種類の会議が存在する。

① 校長が関与し、副校長・教頭・生活指導部長・中学校教諭数名を構成員とし、不定期に開催される会議。

② 中学学年会と称し、中学校教諭七、八名を構成員とし、不定期に開催され、中学生の問題につき討議検討する。

③ 校務連絡会と称し、中学校の主任一名、高校の各学年の学年主任各一名、校長・教頭・各部長(総務・教務・生活指導・進路指導)四名を構成員とし、毎週火曜日に定期開催される。

④ 部長会と称し、校長・副校長・教頭・事務長・前記各部長四名を構成員とし、毎週月曜日定期に開催される。

⑤ 職員会議

在籍教諭と事務室数名が構成員で一か月に一回定期に開催される。

(ロ) 本件中学校教頭は、右各会議の内中学学年会に原則として出席しない以外その余の会議には出席し、当該会議の議事やその討議に関与する。

(ハ)(a) 原告の前記認定各行為に関する事項は、学科担当教諭から学級担当である大林教諭に連絡され、大林教諭から、学年主任の美野教諭に、更に、美野教諭から生活指導部長木村教諭(なお、木村教諭は、原告の右全行為を了知していた。)に、木村教諭から津田教頭へ、津田教頭から中山副校長へと順次報告され、中山副校長へ報告された分は、殆どその全部が校長に報告され、校長も、これらを了知していた。又、津田教頭が、中山副校長とともに、あるいは単独で校長に右事項を報告していた。

(b) 本件中学校校長は、右報告経路のみならず、前記部長会へ出席して、同会議の議題及びその会議内容を十分知ることができるところ、同校長は、昭和六三年六月二七日開催の部長会で、他の議題のほか、木村教諭から原告の同日までの前記認定にかかる各行為についての報告を受け、同年七月一五日開催の部長会でも、他の議題のほかに原告の前回開催の部長会以後同日までの間における同各行為につき、特に、中山副校長が同年七月一四日に来校した前記甲野夏子、松本に対し採った前記認定の措置、要望、警告について、木村教諭から報告を受けた。

(c) 中山副校長と津田教頭は、同年七月二〇日終業式が終了した午後、右校長に対し、原告の同日における前記認定の各行為を報告し、原告については最早転向を勧め、もしこれに応じなければ退学処分にするほかない旨の進言をし、校長も、同進言の趣旨を了承した。

(d) 中山副校長と津田教頭は、右校長の右意思決定を受け、これに基づき、以後前記認定にかかる原告の保護者への対応手続を採るに至った。

(e) 前記中学学年会が、同年七月二八日、中山副校長、津田教頭の要請により、帰郷していた一名を除く本件中学校教諭全員参加のうえ開催され、同席上で、原告の前記処遇が検討された。

そして、色々の意見が出されたが、決定的な結論に至らず、原告の右処遇は校長に一任したらいいのではないかとの意見に傾いたまま終了した。

(f) 前記校長は、同年八月一八日午前中、津田教頭から、原告の保護者が所定の期間内に原告の転校手続を採らないので、同人については退学処分(本件処分)を採るほかない旨の報告を受け、前記甲野夏子宛、同日付、原告を退学処分にした旨の通知書に署名した。

右退学通知書は、右同日、甲野夏子に発送され、その頃、同人に到達した。

(4) 本件処分の根拠

(イ) 本件中学校は、生徒心得として校外生活につき次のとおり定めている。

(a) 定められた通学路順より他に廻る時は、担任及び生活指導部の許可を受けること。

(b) 生徒として好ましくない所(喫茶店、ディスコ、遊技場等)に出入りしたり、繁華街を徘徊したり、夜間単独外出したりすることを絶対にしてはならない。又、友人同志で飲食店に立入ったりしないこと。特に下校の際は厳につつしむこと。

(ロ) 本件中学校校長は、原告の前記認定にかかる各行為中に右生徒心得に直接抵触する行動があるし、同認定にかかる各行為を全体的に把握すると同中学校学則三三条三項四号(学校の秩序を乱し、その他、生徒としての本分に反した生徒)に該当すると判断し、同人に対し本件処分を採ったものである。

(三)(1) ところで、私立中学校校長は、教育上必要があると認めるとき在籍生徒の行為につき懲戒を行うことができる(学校教育法一一条、同法施行規則一三条。)ところ、同校長が当該生徒の行為について懲戒を行うに当たり、当該行為が懲戒に値するものであるか否か、又、懲戒の内退学処分を選ぶべきか否かを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行状の他の生徒に与える影響等諸般の要素を考慮する必要があるというべきである。

蓋し、右判断は、学校内の事情に通暁し、直接教育の衡に当たる校長の合理的裁量に任かすのでなければ適切な結果を期待できないからである。

ただ、前記学校教育法施行規則一三条三項は、退学処分につき具体的事由を定めているところ、これは、退学処分が生徒の身分を剥奪する重大な措置であることに鑑み、当該生徒に改善の見込みがなく、これを学校外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙し、他の懲戒処分よりも裁量の余地を狭めたものと解される(最高裁昭和四九年七月一九日第三小法廷判決民集第二八巻第五号七九〇頁参照。)。

したがって、具体的事案において、当該生徒に改善が期待できず、教育目的を達成する見込みが失われたとして、同生徒の行為を退学処分事由に該当すると認めた校長の判断が社会通念上合理性を欠くものと認め難い場合には、当該退学処分は、校長に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その適法性を是認すべきである。

(2)  これを本件についてみると、本件中学校側が原告及びその保護者に対し本件処分の直接事由として告げた、原告の各行為(この事実は、当事者間に争いがない。)を含む同人の本件各行為及びそれに関する状況、原告の右各行為が本件中学校校長へ伝達報告される組織的方法、同校長に対する同中学校幹部教諭らの補助体制及びその内容等は、前記認定のとおりであって、右認定各事実を総合すると、本件中学校校長は、前記説示にかかる、懲戒処分の選択に際し考慮すべき諸要素を考慮したうえ、原告に対する懲戒を、ひいては本件処分を選択したと推認するのが相当である。

更に、原告に関する右一連の事実関係に加え、前記認定にかかる、本件中学校関係教諭らが原告の前記各行為の際採った各措置、同中学校側が本件処分に至るまでの間原告及びその保護者に採った対応の内容及び回数等を総合すると、本件において、右中学校校長が、原告に改善が期待できず、教育の目的を達成する見込みが失われたとして、原告につき、同人の前記各行為を同中学校学則三三条三項四号所定の「学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した」(前記学校教育法施行規則一三条三項四号所定と同一事由)ものとした判断は、社会通念上合理性を欠くものとは認め難いというべきである。

(3)  右認定説示を総合すると、結局、本件処分は、懲戒権者である本件中学校校長に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、適法かつ有効というべきである。

3  よって、原告の前記主張は、右認定説示に反し、全て理由がない。

二原告の本件慰謝料請求の当否

1  原告の本件処分は違法かつ無効なものである旨の主張が肯認できず、かえって、同処分が適法かつ有効であることは、前記認定説示のとおりである。

2  右認定説示に照らすと、原告の本件慰謝料請求は、その余の主張について判断するまでもなく、同人の本件処分は違法であるとの主張部分のみで、既に理由がない。

第四結論

以上の全認定説示に基づき、原告の本訴請求は、全て理由がないから、これを棄却する。

(裁判長裁判官鳥飼英助 裁判官三浦潤、同亀井宏壽は、いずれも填補のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官鳥飼英助)

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